真っ白な空間

  目の前がだんだん明るくなってきた。はっきりとは見えないけれど、病院の天井ではないことは確かだった。まぶしい照明も、音を立てるモニターもない。最後に見たのも、こんな白だった気がする。ただ、今よりずっとまぶしくて、誰かが何かを叫んでいた。でも、その声はどんどん遠ざかっていった。口の中にはまだ塩辛さと苦さが残っていて、少し息が苦しい。懸命に目を開くと、周りは一面真っ白に見えた。何も見分けられず、地面もない。ここはどこ?

門の前で泣く子

  歩いてみた。不思議だった。何も踏んでいないのに、落ちていく感覚もない。うつむいても、自分の足さえ見えない。まるで、ここには最初から地面なんて必要ないみたいだった。ますますわからなくなって、「誰かいますか? 誰かいますか?」と叫んだ。ずいぶん経ってから、小さな子の泣き声が聞こえた気がした。声をたどって歩いていくと、体に少しずつ重さが戻り、足の裏にも突然、硬いものの感触が伝わってきた。私がここに着くまで、地面は存在していなかったみたいに。「ここはどこ?」周りにようやく色が現れ、真っ白ではなくなった。でも、焦点が合わず、何もはっきり見えない。あの子の泣き声が聞こえる。その中に、すすり泣きや罵声、クラクション……頭がくらくらする。焦点が合わないのは、とても気持ちが悪い。いくつものレイヤーが混ざり合っているみたいだった。泣き声のする方へしばらく歩くと、ようやく、門の前にしゃがみ込んで泣いている小さな子が見えた。錆びた鉄の門は閉ざされ、赤い塗装がところどころ剥がれている。どこか見覚えのある光景だけれど、ここはどこだろう。その子の前まで行って、どうして泣いているの、と聞いた。子どもが顔を上げた。「お姉ちゃん、パパとママにいらないって言われた。言うことを聞かないから離婚するって。ううう……」「お姉ちゃん?」一瞬、固まってしまった。思わず自分を見下ろしたけれど、どうしても体の輪郭が見えない。まあいいや、お姉ちゃんで。私は答えた。「ぎゅってしてあげるにゃ。どうして言うことを聞かないって言われたの? お姉ちゃんに話してくれる?」その子は目をこすり、鼻をすすって言った。「お姉ちゃん、男の子はどうして泣いちゃいけないの? クラスの女の子と遊ぶのが好きなだけなのに、男の子たちにいじめられる。トイレで囲まれて殴られるんだ。まだ傷もある……それに、パパもママもいないって笑われる。二人ともずっと遠くで働いてるから」その顔には、とても見覚えがあった。でも、確かに男の子らしくは見えない。かわいいな、好きだにゃ。「お姉ちゃん、まだ聞いてる?」「聞いてる、聞いてるよ」「話を聞いてくれてありがとう。いじめられたことをパパとママに話したら、泣き虫だからいじめられて当然だって。女の子みたいで、何の役に立つんだ、うちにお前みたいな息子はいないって。でも、お姉ちゃん、どうしても二人の言うとおりにはできないんだ。ぼく……ぼくは役立たず。体が弱くて、病気ばかりして、女の子のものが好きで、あの男の子たちにも勝てなくて、殴られるしかない。何もできない……」私は近づいて、その子を抱きしめた。「男の子は泣いちゃいけないなんて、誰が決めたの?」「みんなそう言う」「じゃあ、みんなが間違ってる」「でも、お姉ちゃん、本当に男の子らしくないんだ」「らしくなくたっていいじゃん」頭をなでて言った。「女の子っていいよね(なんてね、泣きたいなら泣けばいいよ。またいじめられたら、お姉ちゃんに言って。お姉ちゃんが懲らしめてあげる」その子はきょとんとして、ようやく少し笑った。涙が私の口元にこすりついた。塩辛くて、苦い。突然、あの錆びた門が開き、ぼやけた二つの顔が現れた。泣くなら遠くへ行け、門の前で泣いて恥をさらすな、とわめいている。でも、私にはまったく気づいていないみたいだ。早く逃げよう。え? どうして逃げなきゃいけないんだろう? なんとなく……とりあえず逃げよう。

その後の子

  周りがまたぼやけ始めた。でも、たくさんの場面が重なっているのはわかった。ここの空間は普通の理屈では成り立っていない。どう歩けばいいのか説明しづらくて、音を聞いて方角を探ることしかできない。「弦弦掩抑声声思、似訴平生不得志、低眉信手……」さっきの記憶は曖昧なのに、この詩だけは一生忘れない。暗唱しなきゃいけなかった『琵琶行』じゃないか。覚えるの、本当に面倒だった。はあ、大学入試。はあ。何か少し思い出した気がするけれど、今はそんなことはどうでもいい。声のする先には、小さな部屋があった。中では、マスクをした子が教科書を読んでいる。邪魔をしないように、そっと近づいた。机には本や紙が乱雑に積まれていた。この光景、どこかで見た気がする。でも思い出せない。はあ、たぶん MECT の電気で頭がだめになったせい……いや、MECT って何? どうしてそんな言葉を知ってるの? 今、何を考えてた?「去来江口守空船……繞船月明江水寒……同是天涯淪落人……」その子は突然、読むのをやめ、涙を拭いた。「相逢何必曾相識」いや、あの子、どうして泣いているの? この句は何度も暗唱してきたはずなのに、あの子が口にするその声を、どこかで聞いたことがある気がした。もう少し近づくと、机の上の紙は半分、教科書に押さえられていて、「この手紙を読んでいるということは……」とだけ見えた。だめだ。私は駆け寄って、その紙を取り上げようとした。「ねえ! そんなの書かないでよ!」その子は私の声なんてまったく聞こえていないように、まだ目を拭っている。手を伸ばしてつかもうとした瞬間、周囲のものがあらゆる方向に飛び散り、すぐにまた、ぼやけた真っ白な空間になった。私には何もできない。だから叫ぶしかなかった。待って、「受験、頑張って」はありきたりすぎる。別の言葉にしよう。それなら。「待って、絶対にちゃんと生きてね、にゃ!」あの子はようやく少しだけ顔を上げたように見え、静かに言った。「どれくらい待ったか、知ってる? 何度も、何度も……」。

重なり合う病室

  いや、私、何も変えられないんじゃないか。どうして救急車の音が聞こえるんだろう。でも、この光景は少しおかしい。周りの人はマスクをしていない。感染症が流行していた時期ではなさそうだ。別の空間に足を踏み入れたらしい。たくさんの機械が見え、その真ん中に人が寝ている。背丈からして、さっきの子ではない。それに、ひげも体毛もある。見るからに男の人だ。一目見たとき、近寄りたくないとさえ思った。すごく醜く見えた。その考えが浮かんだ瞬間、自分でもはっとした。変なの。どうして、まったく知らない人がこんなに嫌なんだろう? なぜかわからないけれど、彼を見ていると窒息しそうで、息ができなくなる。私だったら、私も……? だめだ、ちゃんと生きなきゃ。あまりにもつらそうだにゃ。体中に管がつながれ、ベッドに縛られて、顔は真っ白だ。何があったのかわからないけれど、早くよくなるといいな。。周囲の場面がまた重なり始めた。今度は廊下の突き当たりに、髪の長い女の子が現れた。私に背を向けている。かわいいな、羨ましいな、青春だな。。。隣には机も現れ、薬の箱と、どこかで見た気のするヘアピンが置かれていた。。。。さらに進むと、病床の女の子にも見覚えがある……さっき、何が起きたんだっけ? どうして何も覚えていないの? 体が? 違う、魂だ! どんどん速く落ちていく。周りのすべてが、ますますぼやけていく……声も混ざり合う。違う周波数が重なり合って、「お姉ちゃん」「起きて」「生きてね、にゃ」……ここの空間と同じで、何の秩序もない。ここは、何?

目が覚めて

  下のほうに激しい痛みが走った。天井を見つめながら、さっきのことを少しずつ思い出した。そうだ、今日は SRS の手術の日だ。目が覚めた? もう終わったよ。女の子になったよ、にゃ。太ももの付け根も鎖骨も痛い。痛いなら痛いでいい。少なくとも、ようやく乗り越えた。身分証を変更して、それから restart。あれ、さっき隣にいてくれた友達は? いや、どうしてベッドに縛られているの? すごく痛い。脚も閉じられない。涙がまた勝手に流れ落ちた。やっぱり塩辛くて、苦い。まったく息ができない。でも、ようやく乗り越えたんだ。本当に、乗り越えたの? まあ、これから時間はいくらでもある。かわいいワンピースだって着られる。目を閉じて、少しだけ笑った。ピッ。。ピッ。。。ピー——— 遠く、悲しいほど厚い壁の向こうから聞こえるようだった。

作者より・動画リンク

  (本作は作者の実体験をもとにした物語です。転載は可能ですが、作者を明記してください。AI への入力・学習利用は禁止します。)

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